アップUP通信

総務グループのアップUP通信3月号 Vol.89

日本の春の景観には欠かせないサクラ・・

その咲き方や散り際が日本人の精神性を表すとまで言われるサクラ・・

暖かい春を迎えて卒業や入学、転勤や転居などもあり、多かれ少なかれみんな桜の花の思い出があると思います。

 

サクラの風景といえば現代ではソメイヨシノ

薄いピンクの花が木全体をおおうように咲き、地域ごとにいっせいに咲きいっせいに散っていく・・桜前線という情報がテレビなどで駆けめぐります。

全国のサクラの7~8割がソメイヨシノだといわれていますが、実はその歴史は案外新しいのです。

ソメイヨシノ

 

 

ソメイヨシノは、幕末に染井村(現東京・駒込)の植木屋が「吉野桜」として販売したとされています。

花つきがよく、葉が目立たず成長も早いため全国に広まりました。

ソメイヨシノのルーツは、母方がエドヒガンであることは有名ですが、父方候補は複数おり長く決着がついていませんでした(日本の野生の桜は10種。 うち4種は近縁のため遺伝子による親子鑑定が難しいそうです)。

現在では父方はオオシマザクラとされていますが、自然交配によってできたのか、人工的に交配させてできたのかはわかっていません。

そして、なんと言ってもすべて挿し木および接木で増やされている(つまりクローン!)ことが特徴(人工交配させても同じソメイヨシノはできないそうです)で、すべて同じ遺伝子を持ち、実生から育つことはありません。

ですから気象条件が同じだといっせいに開花するのです。

 

桜かさね

 

平安時代では十二単などの貴族たちの衣装や御簾や几帳などが季節の色で染められるようになりました。

手紙や和紙の彩りにも「かさね色」が使われ、春なら梅や桜、初夏は菖蒲や杜若、秋は紅葉など季節にあわせた“かさね”を選び工夫することが貴族のたしなみや決まりごととなって、後世に伝えられました。

桜のかさね色は紅花や蘇芳(すおう)でピンクや薄い赤に染めるのですが、 ヤマザクラをイメージして紫がかった色や緑色を配することもありました。

 

サクラとウメ

実は、古代、花見といえばウメだったと言われています。

実際、万葉集にはウメを詠んだ歌は約120首あるのに対し、サクラは40首ほどしかありません。

しかし次第にサクラ人気が高まり、平安時代になると春の花は、ほとんどサクラを歌っています。

百人一首にも6首おさめられているので、知っている人も多いかもしれませんね。

いにしへの ならのみやこの やへざくら

けふここのへに にほひぬるかな

 

 

過去1200年間のサクラのデータ

平安時代の「日本後記」には弘仁3年2月12日(西暦812年4月1日)に嵯峨天皇が神泉苑で「花宴の節(せち)」を催したという記述があり、それがお花見の始まりだと言われています。

その後も「明日の花見の宴会が楽しみだ」「どこそこの桜が今日満開になった」など、様々な書物にサクラに関する情報が残されており、そこから約1200年間のヤマザクラの満開日を知ることができます。

そして、そのサクラの満開日の違いを比較することで各年の3月の平均気温を推定するなど「古気候研究」が行われています。

近年では気温推定をするときは都市部の ヒートアイランド現象も考慮するようになっているそうです。

 

出典:「森と日本人の1500年」田中敦夫、「王朝のかさね色辞典」吉岡幸雄、「気候で読む日本史」田家康、wikipedia

作成:株式会社ワイドソフトデザイン_akiko

 

 

 

 

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